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自分が無知なのを忘れないための備忘録

今日読み終えた本: 文字渦

 

文字渦

文字渦

 

 今日読み終えた本。集中して読んだにも関わらず終えるのに3日かかった。

とにかく、何やらとんでもないものを読んだ気がする。"文字"に纏わる短編集で、各短編が中国の儒教や仏教、梵語、プログラム言語、推理小説、SF、哲学、あらゆる分野を"文字"に絡められているが、そもそも"文字"に対する強度が強すぎる。邪道かもしれないがネットで人名検索しながら読んでた。

でも難しいのに読み進めていると急にぼんやりとだが筋が掴める瞬間があった。つまり、もっと勉強してからもう一回読み直したい。

親父、このブログ読んでたらこれ買って読んでみてくれ~

撚れた弦

ガット弦を買いました。羊や牛の腸を撚ったものなので、焼けば多分食べられる。

今年の3月にライオン頭の装飾が施された古楽器を買ってガシガシ弾いているのですが、やはりガット弦が貼られることを想定した楽器だけあってパズルのピースが嵌るように相性が良いものです。そもそもバイオリンの弦の主流がガット弦から別の素材のスチールだとかナイロンになったのはここ50年くらいで、それまでの音楽はガット弦を想定して書かれてるはずなんです。同じ観点で楽器の底面につける肩当てが登場したのもここ数十年で、著名な演奏家の白黒の動画を見ればほとんど誰も肩当はつけてないのです。

結局僕は1700年に作られた楽器に肩当をつけず、ガット弦を張って弾くという時代を一周遅れた弾き方をしています。

ガット弦、古楽器、肩当無しというのは、果たして廃れるべき伝統か、いまだ力を持った普遍性か、それとも新しい前衛でしょうか。あれこれ考えるために作ったブログとはいえ、いつも思うことは、何も考えずに与えられた楽譜をその通りに弾くような、伝統や習慣に一切疑問を抱かずにひたすら従う生き方ができたら、今ほどくだらないことを考えたり迷ったりしなくて済むんだろうな、ということです。考えるという行為は不可逆的です。

ボウモアと可惜夜

どうも、人です。早起きしようと夜9時に寝たら何故か深夜1時前に起きました。流石に早すぎる。仕方ないからメール書いたり昨日の記事の補足でも書こうかな、とPCを立ち上げたところです。

 

Youtube開いて真っ先に出てきたから貼りました。くるりの新曲。最近ずっと聴いてます。くるりの"ワルツを踊れ Tanz Walzer"というアルバムを留学して最初の頃にずっとヘビロテして聴いていたのですが、今聴くとホームシックにかかって日本に帰りたいと思うよりも、もっと一人で旅をしたい気持ちになります。

歌詞に"アードベッグ ボウモアの黒 ロックグラスで光る"とアイラウィスキーの名前が出てくるので、たまたま自室の棚にあった3分の1くらい空いた12年のボウモアを飲み始めました。深夜に飲むボウモアは贅沢です。アイラウィスキーはスモーキーで人を選びますが、僕は大好きです。いつかアイラウィスキーを制覇したい。

 

というわけで、昨日のブログの最後に貼った3人の作曲家の補足です。

 

  • クリシュトフ・ペンデレツキ (Krzysztof Penderecki,1933年11月23日~)

昨日の記事の最後に挙げたうち2曲目、オーケストラのためのポロネーズを書いたポーランド人作曲家です。ポーランド楽派の一人で、敬虔なカトリック教徒であり、創作の源泉は宗教だそうです。初期の代表作は"広島の犠牲者に捧げる哀歌(1960年)"でしょうか。いきなりパンチの効いた離脱率の高そうな曲を貼ることになりました。

演奏者たちはひっきりなしに私に、「お願いです、こんなの不可能です」と言います。絶対に可能ですと私は答えます。

という名言を放ったペンデレツキですが、初期はこのようなクラスターと呼ばれる技法を使い特異な音響を求めました。クラスターは昨日少し説明した一つ一つの音を個別に管理する十二音技法、さらにそこから進化したトータルセリエリズムと呼ばれる技法の対極に位置し、音1つ1つをぼんやりと捉え、まとめ、ざっくりとした音の塊"音塊"として、その音色を重要視します。

広島の犠牲者に捧げる哀歌、というタイトルは後付けらしいですが、大勢の悲痛な叫び声のような弦の音、これはまさにクラスターでしか出せない音でしょう。楽譜を見ればわかりますが各楽器に明確な音の高さは記されていないので(これはまた不確定性だとか偶然性だとかそういう別の作曲法の話になっていくので今はあまり触れませんが)演奏によって聴こえ方が違うのもこういう音楽の面白さです。

 

こういう現代音楽の技法はハリウッド映画等でしばしば使われます。クラスターはホラーや、SF映画の緊迫したシーンで効果的に流れたり。実はトムとジェリーでジェリーがチョコチョコと歩く音に十二音技法が使われたことがあったり、ハリウッドと現代音楽はかなり親しいのです。

この哀歌もトゥモロー・ワールドというSF映画で使われてますが、この映画はエマニュエル・ルベツキという僕の最も好きな撮影監督が撮影で携わっていてその映像も面白いので観てほしいですね。どうやって録ってるの!?と思うような長回しや独特な色彩感覚がこの人の特徴です。2014年にバードマンという僕の好きな映画ベスト3に入る映画でほぼ全編にわたってずっと長回しをするお洒落な録り方でアカデミー撮影賞を獲った方なんですが、2013年にはゼロ・グラヴィティで、2015年にも坂本龍一が音楽を書いたレヴェナントという映画でアカデミー撮影賞を獲っており、史上初の3年連続撮影賞受賞をしたそうです。

 

話を戻しますが、ペンデレツキは次第にクラスターから脱却し始め、さらには調性を取り戻し新ロマン主義へと転換を始めました。指揮者としての活動も本格化し、ソリストとの共演が増えたため次第に協奏曲を書くことも増えました。これは超有名なチェリスト、ロストロポーヴィチの演奏によるペンデレツキのチェロ協奏曲2番(1982年)です。 

どうでしょうか、クラスターを使った耳鳴りのような導入から始まりますが後は調性のあるショスタコーヴィチのような悲劇的で比較的"わかりやすい"音楽になっていきます。

そしてさらにロマン主義化は進み1992年から95年頃に書かれたバイオリン協奏曲2番"メタモルフォーゼン"(動画の太った指揮者がペンデレツキ本人)や、昨日貼った2016年の"オーケストラのためのポロネーズ"ではもはやかつてのクラスターは見る影もありません。ポロネーズに至っては19世紀に書かれた曲と言われても疑わない曲です。これを"進化"と呼ぶか、"退化"と呼ぶかで評価が真っ二つに分かれる作曲家です。

しかし、長年現代音楽としてわけわからないことをやってきた作曲家が、急に"わかりやすい音楽"を書くと、余計に怖く感じることがあります。これはそのうちちゃんと記事で触れたいのですが、ヘルムート・ラッヘンマンという作曲家がつい最近までずっと楽器を叩いたり擦ったりする特殊奏法をふんだんに盛り込んだ曲を書いてたのに、昨年末に突然フランツ・リストの愛の夢を引用したマーチを書いて震えあがりました。(以下、1曲目がラッヘンマンの"運動"で2曲目が"Marche fatale"です) 

 

  • トーマス・アデス (Thomas Adès,1971年3月1日~)

若き才能溢るる英国作曲家でピアニストとしても活躍するトーマス・アデス。昨日一番最後に貼ったチェロ曲の作曲者です。

"ブリテンの再来"というキャッチコピーで売り出されてるんですけどそもそもクラシックの作曲家に明るくない人からしたらブリテンって誰?ってなりますね。20世紀前半のイギリスを代表する作曲家で、主義は折衷主義。その再来とされるアデスもまた折衷主義。色んな作曲技法の良いところを抽出して使うので、適度に現代音楽っぽく、かつ聴きやすいのが特徴です。アデスは特に、コンロン・ナンカロウという自動ピアノを使い人間では演奏不可能なリズムを追及したアメリカ・メキシコの作曲家の影響を受けた超複雑なリズムを使うことがあり、楽譜を多少でも読める人が見ると頭を抱えるような楽譜を書くことも。

カメレオンのように自由でつかみどころがない作風をしてます。ブリテンを聴いてもそう思うことがあるんですけど、それが折衷主義の響きというか特徴なんでしょうね。

個人的なお気に入りはやはり自分がバイオリン奏者だけあってバイオリン協奏曲(2005年)です。

これを初めて聴いたときはまだアデスのことをよく知らなかったのでポスト・ミニマルっぽいと思ったんですけど、ちゃんと聴けば折衷主義です。最初のペンデレツキのバイオリン協奏曲とかと比べたらまだ聴きやすいのでは。今弾きたいバイオリン協奏曲の一つ。

ちなみにアデスは2020年度武満徹作曲賞の審査員を務めるそうです。

 

  • アルヴォ・ペルト (Arvo Pärt, 1935年9月11日~)

アルヴォ・ペルトはエストニア出身で、昨日貼った合唱曲の作曲者。そして三人の中で僕が唯一弾いたことのある作曲家です。

独ソ不可侵条約のためソ連の占領下にあったエストニアではソ連外の音楽は非合法なテープでしか手に入らなかった環境だけあって、初期はストラヴィンスキーやショスタコーヴィチの新古典主義(19世紀末から20世紀前半に流行った古典やバロック音楽の音楽語法や形式を再利用する流れ)、時には十二音技法なども用いて作曲していたペルトですが、意思表示の手段としての作曲の非力さに絶望し、西洋音楽史を遡り、バロック以前のルネサンスやグレゴリオ聖歌などの西洋音楽の基礎へと回帰し、そうして単純な和音を特徴に持つティンティナブリの様式を編み出しました。

これは昨年室内楽の授業で弾いたFratres(1977年)というバイオリンとピアノのための曲です。一定の規則に従って単純な進行を繰り返すため、現代音楽技法の一つ"ミニマリズム"にも分類されます。ミニマリズムはとにかく小さなモチーフを何度も何度も繰り返すので飽きる人もいると思いますが、ちゃんと聴けば没入感とか恍惚感を味わうことができます。反復音楽とその恍惚感は、世界中の宗教儀式的な音楽からトランスだとかテクノのようなクラブミュージックとも共通する人間の根源的な音楽感覚の一つです。

昨日は見逃していたんですがこれが2018年に初演されたペルトの新曲の一つですね。

こっちは1997年の合唱曲の弦楽オーケストラ付きの2018年編曲版。

もはや何も言うまい。

とにかくこのわかりやすさゆえに現役作曲家の中でも演奏される機会に恵まれた人です。世の中には存命中演奏される機会が無く、そのために飢えた作曲家も多いのです。光熱費が払えなくなりろうそくで生活していたところ、自宅に延焼しそのまま未出版の楽譜と共に亡くなった作曲家も(クロ―ド・ロヨラ・アルゲンという無伴奏バイオリンのための2時間40分もの長さのソナタを書いた方です)。わかりやすい、演奏しやすい作風を上手く見出した作曲家と、それを選ばなかった作曲家と。芸術というジャンルを語る上で、主観的な好みの話こそできても、誰が優れてるのか、と定規を持ち出した評価は絶対にできないものなのですが、それでもしかし演奏家や聴衆、評論家からの評価は時に残酷に作曲家を格付けしてしまいます。それが資本主義であり、ペルトの感じた作曲の意思表示の無力さなのかもしれません。

 

さて、長々と、そして大量に動画を貼って申し訳ない。ペルトの音楽は何となく湿っぽい気持ちになるのでお酒の共にはちょうどいいんですが、これを言うとペルトのファンに怒られそうですね。何時間かかけて誰にも読まれない記事を書いてるうちに完全に酒が回ってきた、ここからもうひと眠りできそうです。

最後に、ペルトの数ある曲の中で最も音数の少ないであろうピアノ曲で締めくくります。ありがとうございました、おやすみなさい。

 

中味と形式

どうも、ドイツの酒飲みです。10月は運動会で酒が飲めるぞ。「本当は酔っ払って何か嫌なことでも忘れたいんじゃないの?」とか言われるとちょっぴり腹立つのは酒好きあるあるでしょうか。酒もタバコも精神的状態の良好な時に嗜むから美味しいのであって、美味しくなければ意味はありませんね。

というわけで今日は少しお酒を入れながら面倒な思想をぶちまけたいと思ってるので、お付き合い願います。

 

最近常々考えているところに、そもそも何故いまだに我々は何世紀も前の音楽を、さもそれが当然かのように、たった一回の演奏のためにCDやレコードが何枚も買えるような大金を払ってありがたく聴いているのか、そして一生を注ぎ込みながらそれを演奏という難しい形で再現する必要があるのか、という疑問があります。

そしてこの疑問に演奏家が真剣に取り組まない限り、クラシックを聴く人は減り続けるのではないか?そもそもクラシック音楽を聴く人が減るということ自体、果たして本当に悪いことなのだろうか?とすら思います。もはやクラシック音楽大国のドイツですら、ステージから一瞥しただけで客席の大半が白髪頭なのはすぐわかる、そんな状況なのです。例えベルリンフィルのような有名なオーケストラですら経営できなくなるのも時間の問題だと言い切れるほど深刻です。

 

さて、最近夏目漱石の文字起こしされた講演集を読んでいるのですが、その中の"中味と形式"という、生活の内容や複雑で曖昧な事象に対してそれを外から扱うために作られた"形式"、この関係性を指摘する論説がありまして、その中にこのような文章がありました。

(前略)もし形式の中に盛らるべき内容の性質に変化を来すならば、昔の型が今日の型として行わるべきはずのものではない、昔の譜が今日に通用して行くはずはないのであります。例えて見れば人間の声が鳥の声に変化したらどうしたって今日までの音楽の譜は通用しない。四肢胸腰の運動だっても人間の体質や構造に今までとは違ったところができて筋肉の働き方が一筋間違ってきたって、従来の能の型などはれなければならないでしょう。人間の思想やその思想に伴って推移する感情も石や土と同じように、古今永久変らないものと看做したなら一定不変の型の中に押込めて教育する事もできるし支配する事も容易でしょう。

(中略) - それならなぜ徳川氏がびて、維新の革命がどうして起ったか。つまり一つの型を永久に持続する事を中味の方でむからなんでしょう。なるほど一時は在来の型でえられるかも知れないが、どうしたって内容にわない形式はいつか爆発しなければならぬと見るのが穏当で合理的な見解であると思う

漱石文明論集 (岩波文庫)

漱石文明論集 (岩波文庫)

 

 

以上の考え方は今回のテーマの軸を担うのですが、結論に急ぐ前に少しクラシック音楽における"意味"、上の講演にあてはまるところの"中味"の特殊な形に関して少々長い補足をしたいと思っています。

 

かつて名指揮者レナード・バーンスタインがノーム・チョムスキーの生成文法等をもとに独自の音楽論を構築したように、音楽を言語として見立てる考え方は比較的広く定着していますが("音楽は世界中の人に伝わる言語"みたいなフレーズも含めて)、そもそも言語というのは"内容"が先立ち、それを表すための単語、文法というのが後付けされます。例えば、テープを巻いて戻すという"内容"に対し"巻き戻し"という単語が作られ定着し、時代が変わってもはやテープを使わない映像や音楽メディアが席捲しているにも関わらずその単語のみ残っている、このような事象は探せばいくらでも出てくると思います。"茶碗"だって今はご飯を盛ってますからね。この点はすでに先程の夏目漱石の文に当てはまる部分であります。

 

さて、音楽を言語と見立てた場合、単語とか文法にあたる音楽語法というのはすぐに見つけられますが、それらが言語と同じように必ずしも決まった特定の内容、実質、意味を表すとは断言できないのです。

例えば、C - D - E - F#という音型があったとします。これがどのような内容を表すのか、この音型が現れる前後関係や縦の機能和声も含めまさに無限大の意味を持ちます。口笛で何も考えずに吹けば単なる音階の一部にも聞こえる音型ですが、僕の場合この音型を見かければ"Es ist genug"と頭の中で響きます。

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これはバッハのコラールで"主よ、私はもう十分です、願わくば我が魂をここから御所に連れて行ってください"という歌詞です。音楽と言語の相違の話をしてるときに歌詞付きの曲を出すのはいささか悪手ではありますが、続けて次の曲を聴いてください。全曲聴いていただきたいところですが、言及したい箇所は19分43秒から始まりますので、各自飛ばすなり律義に聴くなりしてください。面白い曲なので。

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この曲は、恐らく多少なりともクラシック音楽が好きで研究心のある方なら誰でもたどり着くであろう、アルバン・ベルクが1935年に書いたバイオリン協奏曲、遺作です。

ベルクは19世紀末のウィーンの生まれで、前回のクルト・ヴァイルとロッテ・レーニャの記事でもチラッと触れたシェーンベルク率いる"新ウィーン楽派"の重要人物です。

この曲は、ウィーンの大作曲家であったグスタフ・マーラーの夫人アルマ・マーラーが、旦那グスタフの亡き後、ヴァイマルにバウハウス大学を設立したヴァルター・グロピウスと結婚し、その間にもうけた娘マノン・グロピウスの夭逝を受けて書かれました。ベルクは我が子のように可愛がっていたマノンの訃報を聞き、すぐさま制作途中であったオペラを中断しこのバイオリン協奏曲に取り組みましたが、その途中で虫刺されから敗血症を患い、彼もまたこの曲の完成後すぐに亡くなりました。

 

ベルクの師のシェーンベルクという作曲家は調性から離脱し、音楽における"美しさ"を求めないという前衛的な思想で無調の技法を追い求め、1921年に1オクターブ内の12音を均等に使う"十二音技法"を完成させ世に出しました。ベルクも師に倣いこの技法を使って作曲しましたが、ベルクはしばしば十二音技法の中に調性を潜ませ、あたかも前衛的な技法によって過去の遺物である調性が抑圧されているかのようなロマン的な手法を独自に編み出し、師弟間でその扱い方に関して衝突があったともいわれています。成熟し命の賭された最もロマン主義的な美しいバイオリン協奏曲は、皮肉にも音楽の響きの美しさから離れるための技法によって書かれているのです。

 

このバイオリン協奏曲の副題は"ある天使の思い出に"であり、無論天使とはマノンのことを表しています。第一楽章はマノンの現世での肖像であり、第二楽章は彼女の闘病、昇天を表現しています。

そして二楽章の決定的なタイミング(上の動画で19分43秒のところ)で先程の"Es ist genug"のはっきりとした引用が入ります。無調の混沌の中から徐々に音型が形成され、やがて暗闇に光が差したようにコラールが入ります。ソロバイオリンの楽譜上には、声を発して歌うわけではないのに関わらず、引用元の歌詞が書かれています。

この"主よ、私はもう十分です"という言葉無き歌は、果たして誰の声で歌われるのでしょうか。少し考えただけで深淵を覗いた気分になりませんか?作曲の過程や背景を少し知っただけで、あのたったいくつかの音が、音階の一部のようなあの音型が、抽象的でいてかつ複雑な恐ろしく深い意味を持ち始めます。

 

さて、話を戻します。こんなに力を入れて書いたけどそもそもこれはベルクのバイオリン協奏曲に関するブログじゃないんです。

 

聴衆は、その楽曲に関する知識が一切なくても、聴いた際には喜怒哀楽のような大雑把な感情を想起することが可能であり、そこからさらに作曲家の思想、作曲に至る過程や背景、楽曲における音楽語法の使われ方、引用等、様々な知識を得ることによりそのぼんやりと想起された感情の輪郭を掴み、ディテールを少しずつ理解していくことが可能となります。

しかし音楽の意味を完全に理解しきることは不可能です。これが言語との最大の相違となります。言語は内容をできる限り正確に相手に伝えるためのコミュニケーションツールですが、クラシック音楽、特に歌詞を持たない器楽曲は作曲家の意図していた意味を伝達する上で正確さとは無縁であり、作曲家・聴衆間のコミュニケーションツールとしては致命的な誤解を招くこともしばしばあります。また介在する演奏家は聴衆側ではなく作曲家視点に立ち、作曲家の意図をできる限界まで理解した上で演奏する必要があります。それを失敗すると、音楽の意味を狭めて、もしくは歪めて聴衆に届けてしまう可能性を孕んでいるのです。

 

音楽の持つ"曖昧な内容を言葉に拠らずそのまま形にする"という特性は非常に有用で、音楽家もその特性を理解した上で、言葉では検閲を受けるような政治的な思想や、プライドが邪魔をして伝えることができない想い人への恋情のように、ロマン派三大要素の"距離・不在・後悔"によって表される行き場のない雑多な思いを"音楽"というブラックボックスに詰め込むことができました。それを聴く聴衆もまた、音楽の中に、作曲者と同じように抱いていた行き場を失った思想を見出すのです。つまり、作曲家は言語の発言者というよりも、音楽を共有する聴衆の一人という立場の方がふさわしいのです。

これが長い間クラシック音楽が聴かれている理由です。誤解を恐れずに一言にまとめれば、あらゆる"言いたいけど言えないこと"を詰め込んだのがクラシック音楽であり、聴衆が"得たい"と望む感情が、曖昧な姿のままクラシック音楽の中から現れてくるのです。この中身の曖昧さが、何百年も消費され続ける骨董品の魅力です。

"言いたいけど言えない"、という状況は歴史を振り返ればいくらでも見つけられます。18,19世紀は常に教会や貴族階級という存在のために身分差があり、タブーとされる言動も多々ありました。シューベルトのような芸術家はウィーン体制下では検閲を受ける対象でしたし、20世紀に入れば国家間の戦争も激しさを増し言論は統制されることもありました。そのような状況で彼らは音楽を使い自分たちの思想を音楽にし、それを聴衆と共有してきました。

 

さて、現代に戻りましょう。

戦争は終わりました。思想はよほど酷く他人を傷つけない限りは自由で、平等です。政権を批判することも、遠く離れた恋人にLINEを送ることも、創作におけるエロ・グロ・ナンセンスの言葉も、少なくとも日本ではすべて許されています。中味は変わりました。

歴史を遡っても、ここまで言いたいことが言える状況はほとんど無かったのです。それはつまり、もはやかつてのロマン派音楽やそれに類する音楽が必要とされる時代ではないのではないか、ということです。恋愛や友情、政治思想を内包する音楽はそれぞれ現代のポップスやヒップホップ、ロック等言葉を用いた音楽が優秀であり、それらは何百年も昔のものではなく"今"生きる若者の心情、つまりは現代の聴衆の中味を反映したものです。古いクラシック音楽の、それも言葉を用いない器楽曲はこれには絶対に敵わないのです。

もちろん現代のポップスも弱点を持ちます。言葉によって内容を明確に表現できる反面、その中身を極めて限定的に狭めてしまい、最初から共感できない、もしくは成長や思想の変化によって特定の曲に共感できる層から漏れ出てしまうというケースが多々あることです。そこの点において松本隆はインタビューにおいて

誰か隣に女の子が来てさ、「私あなたのことが好きなんです」って100回言われてもさ、嘘かもしれないじゃん。どうやって"愛してる"とか"好き"っていう言葉を使わないでそれを伝えることができるのか、それがわかれば歌になる。

という事を言っていました。これはまさにロマン派的歌曲の思想であり、敢えて中味をぼかすことにより聴衆が楽曲に求め得る思想に幅を持たせることが可能なんです。従って現代において仮に持続性のある音楽を作るのなら、如何に大多数の聴衆が抱く未消化の普遍的な思想を発見し、それをぼかしながら音楽という形式を与えることができるか、ということになります。反対に短くても大きくヒットしたかったら、ぼかさずに端的に言葉にして叫べばいいんです。

 

さて。自分のような凡愚な音大生は、それじゃあいったい果たしてこれからどんな音楽を弾いていけばいいんだ?と思うのですが、これに関してももう答えは出ていると思います。とにかく過去の形式を思考停止的に受け継ぐのではなく、そこから抜け出し現代音楽の中味を理解し、演奏することです。21世紀に入っても、西洋クラシック音楽の系譜にある技法によって書かれ発表された音楽はごまんとあるのですが、僕ら音大生ですらそれらを弾く機会はほとんどありませんし、もはや存命の作曲家の作品を視界に入れることをまるで拒むような音大生も少なくありません。

本来ロマン派音楽も、その前の古典派も、バロックも、以前の音楽の形式が人間の中味の変化に耐えきれずアップデートされた結果生まれたものであったはずです。まるで演奏家だけがその過去の形式に囚われたような状況であるのは、いささか問題であると言えます。

新曲を理解するには政治や歴史等知識として必要なことはたくさんありますが、それはベートーヴェンやチャイコフスキーにも同じことが言えます。むしろ過去の作曲家の知識を知るほうが大変じゃないですか?同じような労力が必要なら、現代人の中味のための音楽をやらない道理がないですよね。

 

手始めに、聴衆としても、こういうところから始めるのはどうでしょうか?どれもこの数年間のうちに書かれ、初演された曲です。無知識でこのような音楽を聴き、得体の知れない感情を得ることができるのは、今を生きる我々の特権でもあるはずです。あとお酒を飲みながら現代音楽を聴くのはとてもスリリングで楽しいので是非お試しあれ。

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↓最初のサウンドロゴがめちゃくちゃうるさいので音量下げてから聴いてください

youtu.be

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時代は変る

 初めまして、ドイツの音大生です。

 "ドイツの音大生"と大層な肩書を堂々と掲げていますが、ラベルをひっぺがしてしまえばその中身は安アパートに引きこもりPCモニターに向き合い酒を飲んではくだを巻く心理社会的モラトリアム真っ只中の遊民です。

 世間的には音大生に対して、常にSNSで映えそうなフォトジェニックな景色を探し出しては楽器ケースと一緒に写真を撮ってそうだとか、いつも洒落た隠れ家的コンセプトのカフェで一杯800円のコーヒーを飲んでそうだとか、口を開けばキラキラしたポエムが飛び出してきそうだとかまるで天上人のような概念的なイメージがありますが、僕の場合は自分の部屋が世界一好き、玄関ドアを一回も開けない日が2,3日続く、スーパーは多少高くても家に近いほうがいい、大学の練習室に行かなくても防音がしっかりしてる自室で楽器の練習ができるという理由で今の家を選んだ、なんならコンサートも家で済ませたい、飲み会に行くなら家で飲むほうがいい、椅子に座りすぎて尻にタコができる、理由なく賃貸サイトで間取りを見るのが好きという根っからの室内遊び大好きっ子です。キラキラした音大生という羽衣を羽織った程度では簡単にはそのような天上人にはなれないのです。

 不細工がブリオーニやトム・フォードのスーツを着てもジェームズ・ボンドにはならず単なる"高級スーツを着た不細工"であるように、僕は音大に通う引きこもりなんです。

 

 さて、ところで、強引に話を持っていきますが、ジェームズ・ボンドという名前を聞いて思い浮かぶタイトルや俳優でだいたい年齢がバレます。pH試験紙みたいなものです。世代によってはショーン・コネリーだったりピアース・ブロスナンの顔が浮かぶし、007シリーズを一切見たことがない人でも"ゴールデンアイ"だとか"カジノ・ロワイヤル"なんてタイトルは聞いたことがあると思います。

 僕が初めて見た007は"スカイフォール(2012年)"で、ボンドを演じる俳優はダニエル・クレイグ、6代目ジェームズ・ボンドでした。スカイフォールを観て面白いと思って以来クレイグが演じるボンド映画は全部観て、それ以前のシリーズは飛び飛びでしか観ていなかったにわかファンですが、先日ようやくショーン・コネリーがボンドを演じる名作と名高いシリーズ2作目"ロシアより愛をこめて(1963年)"を観ました。

 この"ロシアより愛をこめて"の悪役で、ソ連の情報機関の第2課長、そしてシリーズ通してのボンドの最大の敵であるスペクターという組織の幹部"ナンバー3"でもあり、映画ラストには毒ナイフを仕込んだ靴を武器にボンドを襲ったローサ・クレッブ大佐を演じるロッテ・レーニャという女優が目当てでした。

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 ロッテ・レーニャって誰?という疑問も当然ですが、この女優を辿っていくと、その道程ではとあるノーベル文学賞受賞者から、ブロードウェイ・ミュージカル、ジャズ・スタンダード、そして1920年代のドイツ・ヴァイマル文化のクラシック音楽までたどり着きます。

 

 ロッテ・レーニャ(Lotte Lenya)は1898年のウィーンに生まれました。クラシック音楽においてこの時代のウィーンは特別な意味を持っています。リヒャルト・シュトラウスやマーラー、ブルックナーといった後期ロマン派、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンといった新ウィーン楽派が共存し、戦争への機運の高まりや第一次世界大戦を経ながら各々が如何に"ドイツの音楽"を継いでいこうか、という革新と論争に溢れた時代でした。

 ロッテ・レーニャは貧しい家庭で育ち、第一次世界大戦後の複雑な環境の中で、歌手、ダンサー、舞台女優、短期間ではあるが売春婦も経験した世慣れた女性でしたが、特にその声には洗練されていない天性の尖ったカリスマが備わっていました。そんな彼女は1925年に知り合いの劇作家を通じてある作曲家と出会い結婚します。

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 その作曲家がクルト・ヴァイル(Kurt Weill)。1900年にベルリンに程近いデッサウのユダヤ人のカントルの家庭に生まれ、ベルリンではピアノ弾きに比較的なじみのあるブゾーニという作曲家に師事していました。もともとは先述したようなシェーンベルクのような前衛の作曲家に憧れていましたし、当時ヨーロッパに輸入され"陳腐な作曲家ら(第一次世界大戦前後のドイツ人作曲家はフランスやイタリアの作曲家のことをそうみなしていました)"がこぞって作っていたジャズというジャンルにも手を出さなかった、いたって真面目な"ドイツ的な作曲家"でした。

www.youtube.com作風の転換期以前、23歳の頃書いた弦楽四重奏曲。師匠ブゾーニが提唱しヒンデミットやシュルホフ、ストラヴィンスキーらも追随した新古典主義的な構造の曲です。

しかしやがて、コスモポリタンであった師ブゾーニの指導、思わず惚れ込むほどの歌声の持ち主だったロッテ・レーニャとの出会いと結婚、そして彼の音楽の方向性を決定づけることになった劇作家・演出家のベルトルト・ブレヒト(Bertolt Brecht)との出会いが彼を当時最盛期を迎えていたヴァイマル文化、そしてかつて自分たちが"陳腐"だと呼んでいたジャズ要素を含んだ歌曲の世界へと引き込みます。

第一次世界大戦敗戦後の1919年のヴァイマル憲法後、ハイパーインフレの起こっているヴァイマル共和政で、ヴァルター・グロピウスが設立したバウハウスという美術と建築の学校の一連のデザイン様式や、ヒンデミットをはじめとした実用音楽、そのヒンデミットと同門で作曲家としても活動していたテオドール・アドルノや国語の教科書に掲載された"複製技術時代の芸術作品"のヴァルター・ベンヤミン、ハイデッガーといった哲学や理論家、フリッツ・ラング監督でペーター・ローレ主演の"M(1931)"といった表現主義的なトーキー映画など、因習打破的・革新的な思想と文化が生まれます。

 そのような背景の中、ベルリンではヴァイルが作曲し、ブレヒトが詩や話を書き、レーニャが歌うという体制で舞台音楽や歌曲を作ってはオットー・クレンペラーのような著名な指揮者から評価を得て、ヴァイマル文化の中でも注目の的になるようになりました。

 後のナチス・ドイツ時代からはその革新的な思想から"退廃芸術"という烙印を押されたヴァイマル文化ですが、当時の庶民の間では先述の映画"M"にも見られるような"連続殺人者や反社会的勢力に対する高い関心"があり、その題材と舞台音楽を結び付けたヴァイルとブレヒトとレーニャらが今の音楽史にも残る歴史的大ヒットを世に出します。

それが1928年の"三文オペラ"であり、そしてその登場人物である極悪の連続殺人犯メッキースの殺人を列挙する"Die Moritat von Mackie Messerメッキー・メッサーの殺人バラッド≫"、通称"マック・ザ・ナイフ"です。

www.youtube.comこの音源ではロッテ・レーニャが歌っていますが、後にナチス・ドイツの迫害から逃れアメリカに亡命したヴァイルとレーニャとともにこの曲もアメリカへと渡り、ルイ・アームストロング、ボビー・ダーリン、エラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラらにカバーされるジャズのスタンダードとなります。

日本でも美空ひばりや堺正章がカバーしてますし、貴志祐介の小説"悪の教典"では、"M"でグリーグ作曲"ペール・ギュント"より"山の魔王の宮殿にて"を口笛で歌う連続殺人犯ハンス・ベッケルトよろしく、サイコパスで連続殺人犯の教師がことあるごとに口笛で吹いています。

 

1933年に一度ヴァイルとレーニャは離婚していますが、1935年のアメリカへの亡命後、1937年に再婚します。1938年にはブロードウェイにてヴァイルのミュージカル"ニッカーボッカー氏の休日"がヒットし、その劇中歌の"September Song"もまたジャズスタンダードとなりました。

www.youtube.comヴァイルはミュージカルのみならず大量の声楽曲を書いており、アメリカでもその歌声で人気を博したレーニャが歌うことでヴァイルの仕事を支えていました。1950年にヴァイルが心臓発作で亡くなってからもレーニャはクルト・ヴァイル財団を設立し、遺された楽曲を広めようとしました。

そして1962年、"ロシアより愛をこめて"の前年、ニューヨークのグレニッジヴィレッジのシアターでレーニャはレヴュー"ブレヒト・オン・ブレヒト"に出演し三文オペラの"海賊ジェニーの歌"を歌いましたが、その観客の中には当時まだ21歳、大学を中退しニューヨークへと出てきてコーヒーハウスやクラブで弾き語りをしていたボブ・ディランがいました。

1964年にボブ・ディランが書いた"時代は変る"というタイトルは、マルクス主義に傾倒したブレヒトがこれまた共産主義の作曲家であるハンス・アイスラーのためにチェコの風刺作家ヤロスラフ・ハシェクの"兵士シュヴェイクの冒険"をもとに書いた"第二次世界大戦中のシュヴェイク"という舞台音楽の中の一曲"モルダウの歌"の歌詞の引用です。

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サビの"Es wechseln die Zeiten."を直訳すると"時代は変る"となります。如何なる力を持ってしても時代が変わっていくのは止められない、という内容の歌で、ちょっと政治色強いけどスメタナのモルダウを上手く引用した良い曲ですね。

 

長々と書きましたがやはり一応音楽家を目指す一音大生としてはロッテ・レーニャに憧れると同時に凄まじくロマンを感じます。1920年代と言われると遠い昔のように思えますが、糸を辿れば、今生きている人へと思想が引き継がれていってるのがはっきり見える。そしてそんな生き証人が、カラー映画の中でショーン・コネリーに毒ナイフを刺そうとしてボンドガールに撃たれて苦しむ演技が見れるんだから面白い話です。

1900年以降のクラシック音楽は常にロマン派という伝統の陰の中、政治や宗教、戦争体験といった複雑で強度のある思想と結びついていて、難解であると同時に紐解くのが面白い時代でもあります。しかし後悔するのが、なんで自分は中学や高校時代にもっと真剣に世界史をやらなかったのかということ...ヨーロッパの歴史と宗教と政治思想は特に音楽をやるうえでは必要不可欠なんです。

 

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さて、先日は補欠として契約している隣街のオーケストラに参加し、そのため連日朝8時に起床し合わせ練習に出席、午後5時に帰宅という珍しく社会的な生活をしたのですが、たったそれだけで疲れて"人間の体は働くために作られていないのでは?"とぼやいてしまうほどものぐさなため、以前書いていた日記代わりのブログも親に尻を叩かれるまで筆を持たず、やがて更新は完全に途絶え、終いにはどこのブログサイトにどのメアドでアカウントを作ってブログを書いていたのかすら忘れてしまうお粗末具合でした。

今回はそんな日記のようなものではなく、自分が読んだり観たり聴いたりして得たものをまとめるアウトプットの手段としてブログを使おう、という非常に独善的なモチベーションでブログを新しく始めます。備忘録みたいなものなのでそんなしょっちゅう更新はしないと思いますが、今後ともお引き立てのほど何卒宜しくお願い申し上げます。

Tschüss!