ムム

自分が無知なのを忘れないための備忘録

ボウモアと可惜夜

どうも、人です。早起きしようと夜9時に寝たら何故か深夜1時前に起きました。流石に早すぎる。仕方ないからメール書いたり昨日の記事の補足でも書こうかな、とPCを立ち上げたところです。

 

Youtube開いて真っ先に出てきたから貼りました。くるりの新曲。最近ずっと聴いてます。くるりの"ワルツを踊れ Tanz Walzer"というアルバムを留学して最初の頃にずっとヘビロテして聴いていたのですが、今聴くとホームシックにかかって日本に帰りたいと思うよりも、もっと一人で旅をしたい気持ちになります。

歌詞に"アードベッグ ボウモアの黒 ロックグラスで光る"とアイラウィスキーの名前が出てくるので、たまたま自室の棚にあった3分の1くらい空いた12年のボウモアを飲み始めました。深夜に飲むボウモアは贅沢です。アイラウィスキーはスモーキーで人を選びますが、僕は大好きです。いつかアイラウィスキーを制覇したい。

 

というわけで、昨日のブログの最後に貼った3人の作曲家の補足です。

 

  • クリシュトフ・ペンデレツキ (Krzysztof Penderecki,1933年11月23日~)

昨日の記事の最後に挙げたうち2曲目、オーケストラのためのポロネーズを書いたポーランド人作曲家です。ポーランド楽派の一人で、敬虔なカトリック教徒であり、創作の源泉は宗教だそうです。初期の代表作は"広島の犠牲者に捧げる哀歌(1960年)"でしょうか。いきなりパンチの効いた離脱率の高そうな曲を貼ることになりました。

演奏者たちはひっきりなしに私に、「お願いです、こんなの不可能です」と言います。絶対に可能ですと私は答えます。

という名言を放ったペンデレツキですが、初期はこのようなクラスターと呼ばれる技法を使い特異な音響を求めました。クラスターは昨日少し説明した一つ一つの音を個別に管理する十二音技法、さらにそこから進化したトータルセリエリズムと呼ばれる技法の対極に位置し、音1つ1つをぼんやりと捉え、まとめ、ざっくりとした音の塊"音塊"として、その音色を重要視します。

広島の犠牲者に捧げる哀歌、というタイトルは後付けらしいですが、大勢の悲痛な叫び声のような弦の音、これはまさにクラスターでしか出せない音でしょう。楽譜を見ればわかりますが各楽器に明確な音の高さは記されていないので(これはまた不確定性だとか偶然性だとかそういう別の作曲法の話になっていくので今はあまり触れませんが)演奏によって聴こえ方が違うのもこういう音楽の面白さです。

 

こういう現代音楽の技法はハリウッド映画等でしばしば使われます。クラスターはホラーや、SF映画の緊迫したシーンで効果的に流れたり。実はトムとジェリーでジェリーがチョコチョコと歩く音に十二音技法が使われたことがあったり、ハリウッドと現代音楽はかなり親しいのです。

この哀歌もトゥモロー・ワールドというSF映画で使われてますが、この映画はエマニュエル・ルベツキという僕の最も好きな撮影監督が撮影で携わっていてその映像も面白いので観てほしいですね。どうやって録ってるの!?と思うような長回しや独特な色彩感覚がこの人の特徴です。2014年にバードマンという僕の好きな映画ベスト3に入る映画でほぼ全編にわたってずっと長回しをするお洒落な録り方でアカデミー撮影賞を獲った方なんですが、2013年にはゼロ・グラヴィティで、2015年にも坂本龍一が音楽を書いたレヴェナントという映画でアカデミー撮影賞を獲っており、史上初の3年連続撮影賞受賞をしたそうです。

 

話を戻しますが、ペンデレツキは次第にクラスターから脱却し始め、さらには調性を取り戻し新ロマン主義へと転換を始めました。指揮者としての活動も本格化し、ソリストとの共演が増えたため次第に協奏曲を書くことも増えました。これは超有名なチェリスト、ロストロポーヴィチの演奏によるペンデレツキのチェロ協奏曲2番(1982年)です。 

どうでしょうか、クラスターを使った耳鳴りのような導入から始まりますが後は調性のあるショスタコーヴィチのような悲劇的で比較的"わかりやすい"音楽になっていきます。

そしてさらにロマン主義化は進み1992年から95年頃に書かれたバイオリン協奏曲2番"メタモルフォーゼン"(動画の太った指揮者がペンデレツキ本人)や、昨日貼った2016年の"オーケストラのためのポロネーズ"ではもはやかつてのクラスターは見る影もありません。ポロネーズに至っては19世紀に書かれた曲と言われても疑わない曲です。これを"進化"と呼ぶか、"退化"と呼ぶかで評価が真っ二つに分かれる作曲家です。

しかし、長年現代音楽としてわけわからないことをやってきた作曲家が、急に"わかりやすい音楽"を書くと、余計に怖く感じることがあります。これはそのうちちゃんと記事で触れたいのですが、ヘルムート・ラッヘンマンという作曲家がつい最近までずっと楽器を叩いたり擦ったりする特殊奏法をふんだんに盛り込んだ曲を書いてたのに、昨年末に突然フランツ・リストの愛の夢を引用したマーチを書いて震えあがりました。(以下、1曲目がラッヘンマンの"運動"で2曲目が"Marche fatale"です) 

 

  • トーマス・アデス (Thomas Adès,1971年3月1日~)

若き才能溢るる英国作曲家でピアニストとしても活躍するトーマス・アデス。昨日一番最後に貼ったチェロ曲の作曲者です。

"ブリテンの再来"というキャッチコピーで売り出されてるんですけどそもそもクラシックの作曲家に明るくない人からしたらブリテンって誰?ってなりますね。20世紀前半のイギリスを代表する作曲家で、主義は折衷主義。その再来とされるアデスもまた折衷主義。色んな作曲技法の良いところを抽出して使うので、適度に現代音楽っぽく、かつ聴きやすいのが特徴です。アデスは特に、コンロン・ナンカロウという自動ピアノを使い人間では演奏不可能なリズムを追及したアメリカ・メキシコの作曲家の影響を受けた超複雑なリズムを使うことがあり、楽譜を多少でも読める人が見ると頭を抱えるような楽譜を書くことも。

カメレオンのように自由でつかみどころがない作風をしてます。ブリテンを聴いてもそう思うことがあるんですけど、それが折衷主義の響きというか特徴なんでしょうね。

個人的なお気に入りはやはり自分がバイオリン奏者だけあってバイオリン協奏曲(2005年)です。

これを初めて聴いたときはまだアデスのことをよく知らなかったのでポスト・ミニマルっぽいと思ったんですけど、ちゃんと聴けば折衷主義です。最初のペンデレツキのバイオリン協奏曲とかと比べたらまだ聴きやすいのでは。今弾きたいバイオリン協奏曲の一つ。

ちなみにアデスは2020年度武満徹作曲賞の審査員を務めるそうです。

 

  • アルヴォ・ペルト (Arvo Pärt, 1935年9月11日~)

アルヴォ・ペルトはエストニア出身で、昨日貼った合唱曲の作曲者。そして三人の中で僕が唯一弾いたことのある作曲家です。

独ソ不可侵条約のためソ連の占領下にあったエストニアではソ連外の音楽は非合法なテープでしか手に入らなかった環境だけあって、初期はストラヴィンスキーやショスタコーヴィチの新古典主義(19世紀末から20世紀前半に流行った古典やバロック音楽の音楽語法や形式を再利用する流れ)、時には十二音技法なども用いて作曲していたペルトですが、意思表示の手段としての作曲の非力さに絶望し、西洋音楽史を遡り、バロック以前のルネサンスやグレゴリオ聖歌などの西洋音楽の基礎へと回帰し、そうして単純な和音を特徴に持つティンティナブリの様式を編み出しました。

これは昨年室内楽の授業で弾いたFratres(1977年)というバイオリンとピアノのための曲です。一定の規則に従って単純な進行を繰り返すため、現代音楽技法の一つ"ミニマリズム"にも分類されます。ミニマリズムはとにかく小さなモチーフを何度も何度も繰り返すので飽きる人もいると思いますが、ちゃんと聴けば没入感とか恍惚感を味わうことができます。反復音楽とその恍惚感は、世界中の宗教儀式的な音楽からトランスだとかテクノのようなクラブミュージックとも共通する人間の根源的な音楽感覚の一つです。

昨日は見逃していたんですがこれが2018年に初演されたペルトの新曲の一つですね。

こっちは1997年の合唱曲の弦楽オーケストラ付きの2018年編曲版。

もはや何も言うまい。

とにかくこのわかりやすさゆえに現役作曲家の中でも演奏される機会に恵まれた人です。世の中には存命中演奏される機会が無く、そのために飢えた作曲家も多いのです。光熱費が払えなくなりろうそくで生活していたところ、自宅に延焼しそのまま未出版の楽譜と共に亡くなった作曲家も(クロ―ド・ロヨラ・アルゲンという無伴奏バイオリンのための2時間40分もの長さのソナタを書いた方です)。わかりやすい、演奏しやすい作風を上手く見出した作曲家と、それを選ばなかった作曲家と。芸術というジャンルを語る上で、主観的な好みの話こそできても、誰が優れてるのか、と定規を持ち出した評価は絶対にできないものなのですが、それでもしかし演奏家や聴衆、評論家からの評価は時に残酷に作曲家を格付けしてしまいます。それが資本主義であり、ペルトの感じた作曲の意思表示の無力さなのかもしれません。

 

さて、長々と、そして大量に動画を貼って申し訳ない。ペルトの音楽は何となく湿っぽい気持ちになるのでお酒の共にはちょうどいいんですが、これを言うとペルトのファンに怒られそうですね。何時間かかけて誰にも読まれない記事を書いてるうちに完全に酒が回ってきた、ここからもうひと眠りできそうです。

最後に、ペルトの数ある曲の中で最も音数の少ないであろうピアノ曲で締めくくります。ありがとうございました、おやすみなさい。