ムム

自分が無知なのを忘れないための備忘録

時代は変る

 初めまして、ドイツの音大生です。

 "ドイツの音大生"と大層な肩書を堂々と掲げていますが、ラベルをひっぺがしてしまえばその中身は安アパートに引きこもりPCモニターに向き合い酒を飲んではくだを巻く心理社会的モラトリアム真っ只中の遊民です。

 世間的には音大生に対して、常にSNSで映えそうなフォトジェニックな景色を探し出しては楽器ケースと一緒に写真を撮ってそうだとか、いつも洒落た隠れ家的コンセプトのカフェで一杯800円のコーヒーを飲んでそうだとか、口を開けばキラキラしたポエムが飛び出してきそうだとかまるで天上人のような概念的なイメージがありますが、僕の場合は自分の部屋が世界一好き、玄関ドアを一回も開けない日が2,3日続く、スーパーは多少高くても家に近いほうがいい、大学の練習室に行かなくても防音がしっかりしてる自室で楽器の練習ができるという理由で今の家を選んだ、なんならコンサートも家で済ませたい、飲み会に行くなら家で飲むほうがいい、椅子に座りすぎて尻にタコができる、理由なく賃貸サイトで間取りを見るのが好きという根っからの室内遊び大好きっ子です。キラキラした音大生という羽衣を羽織った程度では簡単にはそのような天上人にはなれないのです。

 不細工がブリオーニやトム・フォードのスーツを着てもジェームズ・ボンドにはならず単なる"高級スーツを着た不細工"であるように、僕は音大に通う引きこもりなんです。

 

 さて、ところで、強引に話を持っていきますが、ジェームズ・ボンドという名前を聞いて思い浮かぶタイトルや俳優でだいたい年齢がバレます。pH試験紙みたいなものです。世代によってはショーン・コネリーだったりピアース・ブロスナンの顔が浮かぶし、007シリーズを一切見たことがない人でも"ゴールデンアイ"だとか"カジノ・ロワイヤル"なんてタイトルは聞いたことがあると思います。

 僕が初めて見た007は"スカイフォール(2012年)"で、ボンドを演じる俳優はダニエル・クレイグ、6代目ジェームズ・ボンドでした。スカイフォールを観て面白いと思って以来クレイグが演じるボンド映画は全部観て、それ以前のシリーズは飛び飛びでしか観ていなかったにわかファンですが、先日ようやくショーン・コネリーがボンドを演じる名作と名高いシリーズ2作目"ロシアより愛をこめて(1963年)"を観ました。

 この"ロシアより愛をこめて"の悪役で、ソ連の情報機関の第2課長、そしてシリーズ通してのボンドの最大の敵であるスペクターという組織の幹部"ナンバー3"でもあり、映画ラストには毒ナイフを仕込んだ靴を武器にボンドを襲ったローサ・クレッブ大佐を演じるロッテ・レーニャという女優が目当てでした。

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 ロッテ・レーニャって誰?という疑問も当然ですが、この女優を辿っていくと、その道程ではとあるノーベル文学賞受賞者から、ブロードウェイ・ミュージカル、ジャズ・スタンダード、そして1920年代のドイツ・ヴァイマル文化のクラシック音楽までたどり着きます。

 

 ロッテ・レーニャ(Lotte Lenya)は1898年のウィーンに生まれました。クラシック音楽においてこの時代のウィーンは特別な意味を持っています。リヒャルト・シュトラウスやマーラー、ブルックナーといった後期ロマン派、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンといった新ウィーン楽派が共存し、戦争への機運の高まりや第一次世界大戦を経ながら各々が如何に"ドイツの音楽"を継いでいこうか、という革新と論争に溢れた時代でした。

 ロッテ・レーニャは貧しい家庭で育ち、第一次世界大戦後の複雑な環境の中で、歌手、ダンサー、舞台女優、短期間ではあるが売春婦も経験した世慣れた女性でしたが、特にその声には洗練されていない天性の尖ったカリスマが備わっていました。そんな彼女は1925年に知り合いの劇作家を通じてある作曲家と出会い結婚します。

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 その作曲家がクルト・ヴァイル(Kurt Weill)。1900年にベルリンに程近いデッサウのユダヤ人のカントルの家庭に生まれ、ベルリンではピアノ弾きに比較的なじみのあるブゾーニという作曲家に師事していました。もともとは先述したようなシェーンベルクのような前衛の作曲家に憧れていましたし、当時ヨーロッパに輸入され"陳腐な作曲家ら(第一次世界大戦前後のドイツ人作曲家はフランスやイタリアの作曲家のことをそうみなしていました)"がこぞって作っていたジャズというジャンルにも手を出さなかった、いたって真面目な"ドイツ的な作曲家"でした。

www.youtube.com作風の転換期以前、23歳の頃書いた弦楽四重奏曲。師匠ブゾーニが提唱しヒンデミットやシュルホフ、ストラヴィンスキーらも追随した新古典主義的な構造の曲です。

しかしやがて、コスモポリタンであった師ブゾーニの指導、思わず惚れ込むほどの歌声の持ち主だったロッテ・レーニャとの出会いと結婚、そして彼の音楽の方向性を決定づけることになった劇作家・演出家のベルトルト・ブレヒト(Bertolt Brecht)との出会いが彼を当時最盛期を迎えていたヴァイマル文化、そしてかつて自分たちが"陳腐"だと呼んでいたジャズ要素を含んだ歌曲の世界へと引き込みます。

第一次世界大戦敗戦後の1919年のヴァイマル憲法後、ハイパーインフレの起こっているヴァイマル共和政で、ヴァルター・グロピウスが設立したバウハウスという美術と建築の学校の一連のデザイン様式や、ヒンデミットをはじめとした実用音楽、そのヒンデミットと同門で作曲家としても活動していたテオドール・アドルノや国語の教科書に掲載された"複製技術時代の芸術作品"のヴァルター・ベンヤミン、ハイデッガーといった哲学や理論家、フリッツ・ラング監督でペーター・ローレ主演の"M(1931)"といった表現主義的なトーキー映画など、因習打破的・革新的な思想と文化が生まれます。

 そのような背景の中、ベルリンではヴァイルが作曲し、ブレヒトが詩や話を書き、レーニャが歌うという体制で舞台音楽や歌曲を作ってはオットー・クレンペラーのような著名な指揮者から評価を得て、ヴァイマル文化の中でも注目の的になるようになりました。

 後のナチス・ドイツ時代からはその革新的な思想から"退廃芸術"という烙印を押されたヴァイマル文化ですが、当時の庶民の間では先述の映画"M"にも見られるような"連続殺人者や反社会的勢力に対する高い関心"があり、その題材と舞台音楽を結び付けたヴァイルとブレヒトとレーニャらが今の音楽史にも残る歴史的大ヒットを世に出します。

それが1928年の"三文オペラ"であり、そしてその登場人物である極悪の連続殺人犯メッキースの殺人を列挙する"Die Moritat von Mackie Messerメッキー・メッサーの殺人バラッド≫"、通称"マック・ザ・ナイフ"です。

www.youtube.comこの音源ではロッテ・レーニャが歌っていますが、後にナチス・ドイツの迫害から逃れアメリカに亡命したヴァイルとレーニャとともにこの曲もアメリカへと渡り、ルイ・アームストロング、ボビー・ダーリン、エラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラらにカバーされるジャズのスタンダードとなります。

日本でも美空ひばりや堺正章がカバーしてますし、貴志祐介の小説"悪の教典"では、"M"でグリーグ作曲"ペール・ギュント"より"山の魔王の宮殿にて"を口笛で歌う連続殺人犯ハンス・ベッケルトよろしく、サイコパスで連続殺人犯の教師がことあるごとに口笛で吹いています。

 

1933年に一度ヴァイルとレーニャは離婚していますが、1935年のアメリカへの亡命後、1937年に再婚します。1938年にはブロードウェイにてヴァイルのミュージカル"ニッカーボッカー氏の休日"がヒットし、その劇中歌の"September Song"もまたジャズスタンダードとなりました。

www.youtube.comヴァイルはミュージカルのみならず大量の声楽曲を書いており、アメリカでもその歌声で人気を博したレーニャが歌うことでヴァイルの仕事を支えていました。1950年にヴァイルが心臓発作で亡くなってからもレーニャはクルト・ヴァイル財団を設立し、遺された楽曲を広めようとしました。

そして1962年、"ロシアより愛をこめて"の前年、ニューヨークのグレニッジヴィレッジのシアターでレーニャはレヴュー"ブレヒト・オン・ブレヒト"に出演し三文オペラの"海賊ジェニーの歌"を歌いましたが、その観客の中には当時まだ21歳、大学を中退しニューヨークへと出てきてコーヒーハウスやクラブで弾き語りをしていたボブ・ディランがいました。

1964年にボブ・ディランが書いた"時代は変る"というタイトルは、マルクス主義に傾倒したブレヒトがこれまた共産主義の作曲家であるハンス・アイスラーのためにチェコの風刺作家ヤロスラフ・ハシェクの"兵士シュヴェイクの冒険"をもとに書いた"第二次世界大戦中のシュヴェイク"という舞台音楽の中の一曲"モルダウの歌"の歌詞の引用です。

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サビの"Es wechseln die Zeiten."を直訳すると"時代は変る"となります。如何なる力を持ってしても時代が変わっていくのは止められない、という内容の歌で、ちょっと政治色強いけどスメタナのモルダウを上手く引用した良い曲ですね。

 

長々と書きましたがやはり一応音楽家を目指す一音大生としてはロッテ・レーニャに憧れると同時に凄まじくロマンを感じます。1920年代と言われると遠い昔のように思えますが、糸を辿れば、今生きている人へと思想が引き継がれていってるのがはっきり見える。そしてそんな生き証人が、カラー映画の中でショーン・コネリーに毒ナイフを刺そうとしてボンドガールに撃たれて苦しむ演技が見れるんだから面白い話です。

1900年以降のクラシック音楽は常にロマン派という伝統の陰の中、政治や宗教、戦争体験といった複雑で強度のある思想と結びついていて、難解であると同時に紐解くのが面白い時代でもあります。しかし後悔するのが、なんで自分は中学や高校時代にもっと真剣に世界史をやらなかったのかということ...ヨーロッパの歴史と宗教と政治思想は特に音楽をやるうえでは必要不可欠なんです。

 

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さて、先日は補欠として契約している隣街のオーケストラに参加し、そのため連日朝8時に起床し合わせ練習に出席、午後5時に帰宅という珍しく社会的な生活をしたのですが、たったそれだけで疲れて"人間の体は働くために作られていないのでは?"とぼやいてしまうほどものぐさなため、以前書いていた日記代わりのブログも親に尻を叩かれるまで筆を持たず、やがて更新は完全に途絶え、終いにはどこのブログサイトにどのメアドでアカウントを作ってブログを書いていたのかすら忘れてしまうお粗末具合でした。

今回はそんな日記のようなものではなく、自分が読んだり観たり聴いたりして得たものをまとめるアウトプットの手段としてブログを使おう、という非常に独善的なモチベーションでブログを新しく始めます。備忘録みたいなものなのでそんなしょっちゅう更新はしないと思いますが、今後ともお引き立てのほど何卒宜しくお願い申し上げます。

Tschüss!